みなさん、おはようございます!タカハシ(@ntakahashi0505)です。
こちらの記事は、タカハシが音声メディアVoicyの「スキルアップラジオ」にて放送した内容から、ピックアップしてお届けします!
今回のテーマは、リスキリングの責任を持つのは誰なのか?です。
なお、以下で実際にお聴きいただくこともできます!
では、よろしくお願いいたします!
リスキリングの定義について気になるポイント
今日はリスキリングの定義について再度考えてみたいなと思っています。
これまでこのチャンネルで使っていたリスキリングの定義はリクルートワークス研究所のもので、「新しい職業に就くために、あるいは、今の職業で必要とされるスキルの大幅な変化に適応するために、必要なスキルを獲得する、もしくはさせること」というものです。
今は変化が激しい時代になってきて、特にデジタル方面に関してはかなりスピードが速いです。一方、で日本はDXについてはかなり遅れてます。デジタルスキルを中心として新たなスキル獲得はみんながしていかないといけないよね、というのは確かにそうだなと思います。
そんな中で、リスキリングがあちこちで話題になっているんですが、その定義について以下のような2点気になっているポイントがありまして、それについて考えていきたいと思います。
- 誰が主体なのか?
- どこがゴールなのか?
今回は、1つ目の「誰が主体なのか」ということについて考えていきたいと思います。
リスキリングは組織・企業が主体!?
組織が実施責任を持つ~一般社団法人ジャパン・リスキリング・イニシアチブ
リスキリングについては、リクルートワークス研究所だけではなく一般社団法人ジャパン・リスキリング・イニシアチブも定義しています。
それは、「新しいことを学び、新しいスキルを身につけ実践し、そして新しい業務や職業に就くこと」というものです。こちらの方は、実践や就職に就くことをゴールとしているんですね。
気になったのはこちらの定義自体ではなくて、補足として、「DX・GXなどの組織変革にもとづいて行われるものなので、組織が実施責任を持つ『業務』である」という風に書かれているところです。
ここでは、実施責任を持つのが組織である、と断言しているんですね。
これは、僕としてはかなりひっかかったポイントで、「組織も個人もみんなが」でよくないかなって思いました。
一義的に責任を負うのは企業~リクルートワークス研究所
一方でリクルートワークス研究所の定義は、組織も個人も両方のニュアンスを含んでいます。ただ、リクルートワークス研究所の資料をもう一度見直してみたら、その研究プロジェクトのゴールにこんなことが書かれていたんです。
「『リスキリングに対して、一義的に責任を負うのは企業』との認知を広げて、そのためのプラットフォーム構築と資金投下を始めてもらいたい」
リクルートワークス研究所の方も、一義的に責任を負うのは企業、と考えていたということなんですね。
なぜ企業だけにまかせてはだめなのか
僕はまだ企業が責任を持つというところの意図を組取り切れていませんし、もちろん企業も本腰をいれたらいいと思いますが、個人も頑張れでいいんじゃないかなと思っていたので驚きました。
なぜ、企業が責任を持つだけではだめなのか、ということをお話ししていきたいと思います。
そもそもリスキリングの成果が出るにはものすごく時間がかかります。
デジタルリスキリングでも色々あるんですが、おそらく、現場で使えるようになる、仕事として有効になるためには数ヶ月から半年はかかると思うんです。さらに、明らかに生産性向上や業績という点で成果が見えるようになるには年単位がかかるのではと思っています。
その間、時間的・金銭的リソースが先出しになるわけですが、日本の99.7%を締めるのは中小企業なので、それらの中小企業が、時間的・金銭的リソースの先行投資に耐えられるのかという問題がでてくると思うんです。
それに関して言うと、国がお金を出して支援するというのは理解できます。
企業に対する国の支援の問題点
#129 岸田首相「リスキリングへの政策を1兆円に拡充」について考えるの回でお伝えしたんですが、その中の3番目の施策で、「従業員を訓練する企業への支援金の補助率を引き上げる」というのがありました。
これに関しては政府からの一定の補助が期待できなくはないということなんですが、そもそも、研修とか既存のOff-JTを機会を少し増やしたからといって、リスキリングが成功するかというとまったく別の話しです。
というのもデジタルリスキリングの話しで言うと、個人の学習時間とか現場での実践時間とかが重要で、それを半年とか年単位で継続するんですね。補助だけでまかなえるかというとかなり難しいと思います。
また別の視点でいうと、大人の学習というのは相当な痛みを伴います。特に、これまで学習習慣がなかった社員にとっては大きなチャレンジだし、抵抗感を示すことも多いと思います。
そういった環境で、やらされ学習で職業を変えられるほどのスキル習得が達成できるのかということなんです。
たとえ自発性があったとしても、本業をこなしながらのスキル習得はかなり苦労すると思います。やらされ学習ではかなり難しいだろうとしか言いようがないと思います。
先ほどのリクルートワークス研究所の資料でいうと、その課題に対して丁寧に説明していきましょうとあります。
さらに、「学習プロセスを伴走するインテリジェンスツールの活用が必須」とあって、ここはなんだかかなりインテリジェンスツール=お金の匂いがするなあと思うんですが、個人の自発性がない中で、企業が主体になったからと言って成功するのはかなり難しいんじゃないかなというのが僕の考えです。
自分ごととして考える
個人の自律的キャリアを踏まえ、個人がどう未来のキャリアを紡いでいきたいかを考えてもらって尊重しつつ、組織がリスキリングの支援をしていくスタンスの方がいいのではないかと思います。
というか、「企業が責任を持つ」みたいな表現はかなりよくないなと思っています。
従業員からしたら、「企業がリスキリングの機会をくれないからこんな目にあってるんだ」みたいな他責思考を誘発してしまうんです。その気がなかったとしても、そういう風に解釈する人はかなりいるんじゃないかなと思います。
ツイッターを眺めていても、リスキリングの話題に関しては、まずは経営者からやるべきだ、とか政府からやるべきだとかいう発言を結構見かけます。どこかの責任にするというのは、自分を蚊帳の外においてしまっていて、まあ他の人がやればいいという他責志向を誘発するので、それだとうまくいかないだろうなと思っています。
働き方改革とかDXとか、一定の成果をあげている企業もあるんですが、多くの場合うまくいっていません。その理由のひとつとしては、誰かに責任を押し付けあっていたから動かずにいるというのがあるわけなんですね。
個人としても、なぜ今リスキリングをしましょうという流れが起きているかと考えたら、自分ごとでなければいけないはずなんです。
給料が上がらない、デジタル産業で完全に遅れをとっている、こういう現状があって、自分の未来がどうなるかそれぞれが考えなければいけない、そんな話なんだと思うんです。
もちろん企業からの支援があってリスキリングできればあればありがたいけど、未来のために自分のスキルをどう磨くかなんて、そんなの自分の責任なわけです。
自分の未来を他人にあずけっぱなしにして、人のせいにしているのはよくないなと思うわけです。そういった意味でいうと、企業が責任を持つというのは表現はかなりよくないなと思っています。
みんなが主体で取り組もう
まとめると、リスキリングという言葉なんですが、世の中でまわっている定義とか、もしくはそれを広めている人たちは、組織がその責任を持つと言っています。僕個人は組織も個人もみんなが主体で取り組むべきと思っていますので、そんな風に発信していきたいなと思っています。
定義に関してはもう1つ気になっている点があるのでこれはまた別の機会にお話ししようと思います。
まとめ
ということで、今日はVoicy「スキルアップラジオ」の放送から「リスキリングの責任を持つのは誰なのか?」をお届けしました。
タカハシのVoicyの放送はこちらからお聴きいただけます。
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では、また。