消費者としての自分たちが労働者としての自分たちを苦しめてはいまいか

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消費者としての自分たちが労働者としての自分たちを苦しめてはいまいか

みなさん、おはようございます!タカハシ(@ntakahashi0505)です。

こちらの記事は、タカハシが音声メディアVoicyの「スキルアップラジオ」にて放送した内容から、ピックアップしてお届けします!

今回のテーマは、消費者としての自分たちが労働者としての自分たちを苦しめてはいまいかです。

なお、以下で実際にお聴きいただくこともできます!

では、よろしくお願いいたします!

「消費と労働の文化社会学」についてのディスカッションから

先日、flier book laboのFELLOWという勉強会がありました。数人のチームで毎月1回を計3~4回かけて読書レビューをする読書会です。

その回は最終回だったんですが、参加者のある方がこんな書籍を紹介されていました。

「消費と労働の文化社会学」―やりがい搾取以降の「批判」を考える

この書籍の発表やそれをもとにしたディスカッションの中で、非常に興味深い指摘や、僕自身の直近の活動とリンクすることがあったので、今日はその話をしたいなと思っています。

まだ僕自身は書籍を読んでいないので、その時の発表とディスカッションをもとにお話ししますのでその点はご了承ください。

労働問題を考える~労働者vs消費者

多くの大人は、労働者として働いてお給料をもらっています。一方で、同時に消費者としての立場もあります。

もらったお給料を使って何かを買ったりサービスを受ける、そういった立場でもあるわけです。

一般的に何かしらの労働問題が語られるときに、代表的なものは長時間労働があるわけですが、労働者vs経営者といった構図になりがちです。

経営者がもっとうまくやらないとだめだという発想になりがちですよね。

ただこの書籍としては、一方で労働者vs消費者という視点もあるのではと指摘しています。

消費者が求める行き届いたサービス

つまり、消費者としての権利の行使が労働問題を生み出しているという側面もあるのではないかという話しなんです。

これについてよくある話が、日本では消費者として低価格のサービスを求めながらも、同時に行き届いたサービスを求めてしまうという傾向があります。

わかりやすい例で言うと、海外諸国との比較で取り上げられることが多いのが、24時間365日営業です。

消費者としてはすごい便利でありがたいのですが、やはり深夜帯の労働だったり、お正月などの時期の労働の確保は難しいですし、労働者からすると過酷だったりするわけです。

僕も学生時代一時期コンビニの深夜帯のバイトをしていたのですが、深夜にバイトに入ってしまうと翌日の日中の活動に支障をきたすので、単価がそれなりに高いとはいえ労働者の負荷は高いなと思うんです。

一方で欧米諸国でいうと、日曜日は宗教上の理由とかもあってお休みとかは当たり前です。

市民も納得していて、それに合わせて活動をしています。

同業者の厳しい目

読書会のときに参加者から出た話題で驚きだったのは、同業界の他店舗だとどうしても厳しい目を向けてしまうという傾向があるそうなんです。

自分たちはこの安い給料で一定レベル以上のサービスをしているのに、あなたのところはこの程度のサービスしか提供していないのですか?と。

むしろ、同業界のほうが寛容さが低くなってしまうということがあるらしいです。

長期的に見れば、過剰にサービスを求め続けると、お互いがどんどん厳しい状況に追いやられていくと思うのですが、そこはどうしても感情的になってしまうのはわからないくもないなと思います。

公務員への厳しい目線

さらに、面白い指摘がありました。

金銭化されたサービスと金銭化されていないサービスでもそのあたりは違うのではないかということです。

消費者は金銭化されていないサービス、わかりやすい例で言うと公務員など税金によって報酬を受け取っている人のサービスにはより厳しい目線を向けがちで、サービスを際限なく求めてしまう傾向があるのではないか、といったた指摘です。

それはニュースを見る限り確かにあるなぁと思います。

公務員・教員の労働の過酷さ

実際、長時間労働などの過酷さでいうと、行政職員や教員はよくニュースでも取り上げられますし、課題の多い業種だというのは一般的な理解になりつつあると思うんです。

税金からお給料をもらっているとはいえ、彼らも普通の人間で体力的・精神的にも当然限界はありますし、普通に家庭も家族もあるわけなんですよね。

ただそこの労働者の権利を守ろうとすると、サービスとしてはここまでしかできませんと言えればいいんですが、実際はそうはいかないわけです。

市民のおそらくごく一部だとは思うんですが、直接電話してくる人や、モンスターペアレンツとかがいて、それを無視するのはなかなか難しいです。

彼らからすると、税金としてお金を払っているのに何事だというわけですよね。

ただ、その業務の過酷さを放置しているとどうなるかと言うと、大変な状況になるのが予測されています。

なり手の不足が問題に

公務員などの仕事につきたいという人が無くなってきちゃうわけです。働き手が減っていきます。

そうするともっと過酷な労働を強いられるという、悪いスパイラルに入っていってしまうわけです。

というか、もう随分そういったスパイラルに入っている気もします。対策はみなさん打とうとしていると思いますが、なかなか追いつかないようにも見えますね。

教員向け、行政職員向けのリスキリングイベント実施します

ちょうど、「デジタルリスキリング入門」出版記念ツアーの後半戦がスタートしているわけですが、教員のみなさま向けと、行政職員のみなさま向けのセミナーをすることになっています。

実際にきびしい状況であることは理解しているんですが、やれることはゼロではないと思うんです。

まずは時間を大事に使って、この部分はデジタルを使うこともできるんですが、それによって未来の時間を生み出す、信頼を勝ち得る、など有利な局面を毎日少しずつ作っていく。

それによって開いていけるところもあるかなと思いますので、みなさんとぜひ一緒に学んでいければうれしいなと思っています。

できることをひとつずつ

理想としては、市民として過剰なサービスを求めるのをみんながやめたらいい、というのがあるんですが、その人たちをゼロにするのは難しいと思うんです。

やはり当事者である職員の皆さんが、やれることをひとつずつ積み重ねていくしかないのかなと思っています。

みなさんに明日につながるヒントをお渡しできればうれしいなと思っています。

まとめ

ということで、今日はVoicy「スキルアップラジオ」の放送から「消費者としての自分たちが労働者としての自分たちを苦しめてはいまいか」をお届けしました。

タカハシのVoicyの放送はこちらからお聴きいただけます。

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では、また。

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