AI時代の高等教育はどうあるべきか?東京工芸大学大学院集中講義を終えて

  • ブックマーク
AI時代の高等教育はどうあるべきか?東京工芸大学大学院集中講義を終えて

みなさん、こんにちは! タカハシ(@ntakahashi0505)です。

先週一週間、昨年に引き続き本厚木に滞在しまして、東京工芸大学大学院の集中講義「ビジネスコンピューティング特論」の非常勤講師を担当してきました。

とてもありがたい経験でありつつも、1年ぶりの講義でAI時代に関わる大きな気付きがありました。

ということで、今回は「AI時代の高等教育はどうあるべきか?東京工芸大学大学院集中講義を終えて」と題してお送りします。

では、行ってみましょう!

東京工芸大学大学院「ビジネスコンピューティング特論」とは

今年の「ビジネスコンピューティング特論」集中講義は、7/29~8/2まで5日間にわたり行われました。

1コマ110分、13コマの集中講義を5日間びっちり行います。

対象は大学院生。修士1年生が多いけれども、2年生も何人か履修されてました。今年は合計22名の学生さんが履修してくださいました。

「ビジネスコンピューティング特論」のテーマと目標

本講義のベースとなるのは拙著『デジタルリスキリング入門』

この書籍は大人向けの書籍でありながらも、あえてデジタルリスキリングの取り組み方を社会に出る前の学生さんたちに教えるという興味深いものです。

目標は大きく2つです。

ビジネスパーソンがデジタルスキルを身につける必要性と課題について理解し説明できること

デジタルリスキリングの経験があるビジネスパーソンは2割と言われています。

つまり、彼ら・彼女らが社会に出たとき、その指導にあたる上司や先輩のデジタルスキルの習得状況にはばらつきがあると考える必要があります。

正しく教えてもらえるとは限りませんし、場合によっては、誤った知識でデジタルを捉えている可能性もあります。

そのような状況ですから、社会に出る前に、デジタルスキルを身につける必要性と課題についての、正しい知識を持っておくことは身を助けるものと考えます。

デジタルリスキリングの戦略とロードマップを理解し実行に移せる

そもそも、デジタルリスキリングに取り組もうとする人が残念ながら少ないのですが、いざ取り組もうとしても効率が悪いことや、挫折しやすいという課題もあります。

その原因は、学び方が間違っているからです。

たとえば誰か権威のある人たちが決めてくれた学習内容を、その通りに進め、そしてその権威が成果を評価してくれるということは、社会における学習ではほぼ適用されません。

自分ひとりの力で何を、どう進め、どう評価するかを決めなくてはいけません。

また、テストでは他人の力も紙とペン以外の道具も使ってはいけませんが、実際のビジネスでは、他者の力を借りること、AIはじめ技術を使いこなすことが求められます。

古い学習観を捨て、社会で通用する学び方を身につけることが求められます

徹底てきなアクティブ・ラーニング

「ビジネスコンピューティング特論」の特徴は徹底的なアクティブ・ラーニングです。

以下のように能動的に参加することを強く求められます。

  • Classroomでの質問演習提出、レポート提出
  • Chatでのつぶやき、質問投稿
  • アイスブレイクとリフレクション時のグループディスカッション
  • ワーク「時間の棚卸し」
  • スプレッドシートやGASのハンズオン
  • ライトニングトークによる成果発表

こういった授業に慣れていないようで学生さん終始硬さはありましたが、参加せざるを得ない設計になっています。

成果発表で気付いた2つのこと

学生さんたちの最後の成果発表ですが、主に以下の3パターンに分かれました。

  • 作ってみた系: GAS・スプレッドシート関数、研究に関すること、趣味、アルバイトやサークルに関すること
  • 考察してみた系: 時間の棚卸し、自分だったら何をどう学ぶ、リスキリングをどう進める
  • 自分なりにまとめてみた系: 授業の内容やテーマについて

それぞれ、だいたい5割、3割、2割という比率です。

講義としては昨年を踏襲していたのですが、成果発表を通して今年ならではの発見が2つありました。

生成AIを使ったプログラミング

ひとつは、「作ってみた系」のみなさん、とくにプログラミングに関してはほぼ100%、生成AIを使っていたように見受けられました。

ChatGPT中心ですが、場合によってはClaude3を用いる学生さんもいました。

コードの中身はわからないにせよ、この言語はどんなことができそうかという知識を渡せば、生成AIを用いて試行錯誤を繰り返して作りたいコードがつくれる…ということがほぼ浸透してきた印象です。

「自分ごと化できているか」を重視している僕の厳しい視点

「自分なりにまとめてみた系」の何人かの発表は、「それは一般論だよね、君ならでは意見はどこにも含まれてないよね?」と感じられたものでした。

中には、今回の授業を聞かなくても生成AIに出力させれば、スライドをつくり、発表できたのではというものもありました。

「自分の発表です」と宣言した発表が、誰でも言える「美しい一般論」で埋め尽くされている状態で出てくることに、強い危機感や、場合によっては嫌悪感を感じました。

一般論は、生成AIに聞けばわかるようになるというのは、この1年かけて人類の総意になってきてます。

では、人によるアウトプットの価値はどこにあるのかといったら、自分はどう思ったのか、どう感じたのか、自分にどう結びつけて、自分はどのような行動をとるのか、そういったものが入れ込まれているものです。

授業としては、そもそもかなり自分ごと化される設計にはなっていますが、一般論の出力で乗り切れてしまうことも可能というのは、よろしくない設計のように思えました。

一方で、多くの学生は自分ならではの工夫をこらした発表だったので、そのままのスタンスで生成AIと向き合っていっていただければうれしいです。

また、来年もお誘いがあれば、この定点観測を続けていきたいと思います。

まとめ

以上、「AI時代の高等教育はどうあるべきか?東京工芸大学大学院集中講義を終えて」についてお伝えしました。

生成AIはとても便利ですが、教えるという立場になって、あらためてリスクも感じるものでした。みなさんは、どうお感じになりましたか?

引き続き、みなさんがいきいきと学び・働くためのヒントをお届けしていきます。次回をお楽しみに!

この話を耳から聴きたい方はこちらからどうぞ!

  • ブックマーク

この記事を書いた人