あなたには、いくつの居場所がありますか? 家庭、職場に続く第3の居場所「サードプレイス」を持つことには、単なる気晴らし以上にたくさんの効果があるといいます。これは1980年代にアメリカの社会学者レイ・オルデンバーグが提唱した概念で、最近とくに注目が集まっています。法政大学大学院政策創造研究科教授の石山恒貴(いしやまのぶたか)さんに、その価値について解説していただきました。
サードプレイスを持つと、メンタルに大きなプラスが生まれる
――日本では「家庭」「職場」の2つの居場所しか持っていない人が多いといわれます。
パーソル総合研究所の調査(※1)によると、サードプレイスを持っている人は全体の37.6%。意外と多いように感じますが、内訳を見ると、自分1人でのんびりできる「マイプレイス」の割合が56.6%と多く、他人と気軽に関わり合う「交流の場」は28.1%と少数派です。
そもそも日本は「セカンドプレイス中心の国」といわれます。日本は諸外国と比べて、社会的に孤立している人が多いとOECDの調査(※2)からも明らかになっています。60歳以上の高齢者の国際比較では、「親しい友人がいる」人の割合は、日本人の男性が48.1%なのに対し、女性は66%。ちなみに、スウェーデンの男性は78.7% 、女性は81%です(※3)。現役時代に、会社中心の生活になり、会社以外の交流が少ない可能性があります。
※1:パーソル総合研究所シンクタンク本部 2021年4月19日発表「コロナ禍における就業者の休暇実態に関する定量調査 調査結果」
※2:OECD Society at Glance:2005 edition,2005
※3:内閣府「令和2年度 第9回高齢者の生活と意識に関する国際比較調査結果(概要)」
こうした問題意識は何も今始まったものではなく、昔からありました。職場で人間関係を築けていれば、飲み仲間に困ることもないし、日々の孤独を紛らわせることはできます。また、会社という同質性の高い組織でいつも同じメンバーと一緒にいるのは、自分がマジョリティでいる限り、とても楽なことです。逆にマイノリティで逃げ場がない場合は、辛い日々になるでしょう。
――では、個人が「サードプレイス」を持つことにはどんな意味があるのでしょうか。
まずは、自分らしくいられる居場所があるという安心感、精神的な満足を得ることができます。疎外感や孤独感を薄める効果もあるでしょう。家庭や職場とは違う人たちと出会い、たくさんの刺激を得られますし、さらにサードプレイスで得た経験やスキルを家庭や職場に持ち帰って生かすこともできるかもしれません。なお、サードプレイスを持っている層は「休みへの満⾜度」「ワークエンゲージメント」が高いという調査結果もあります(※1)。心の拠り所を持つことで、メンタルに大きなプラスが生まれるんですね。
「義務的・自発的」「目的性・癒しや憩い」の2軸で分けられる
――では、どんなコミュニティがいいのでしょうか。
コミュニティには4つの種類があります。「義務的か、自発的か」「目的性が高いか、癒し・憩いの性質が高いか」の2軸で分けられます。この中で「サードプレイス」と呼ばれてきたのは、癒しや憩いのためにある場所で、人々が自発的にふらっと集まって交流する居酒屋やカフェなどでした。逆に、自治会や消防団、PTAなどは1つの目的に向けて作られた組織で、自発的というよりは義務的です。
最近当研究室が注目しているのは、自発的かつ目的のある「目的交流型」のものです。NPOやプロボノ、勉強会がこれに当たります。僕は法政大学大学院に勤めていますが、大学院もこれと同じ性質があると思います。学生の年齢は20〜70代と幅広く、キャリアも学ぶ目的もさまざまです。ただ、業務の一環で義務的に来ている人はおらず、みんな自発的に、学費は自己負担で学びにきています。
ノンプログラマーのためのスキルアップ研究会(以下、ノンプロ研)もそういうコミュニティの1つですね。プログラミングという軸で、200人近い方々が自発的に、全国から集まっているのが面白いところ。業務効率を上げる、スキルアップするなどそれぞれに目的がありつつ、みんなプログラミングに興味関心を持って学んでいる。プログラミングの勉強は、「ノンプロ研で果たすべき目的」であり、「自分の好きなこと」でもあるわけです。参加費が有料かどうかは本質的な問題ではありませんが、自己負担することで自発性を認識しながら参加できることは間違いないでしょう。
――プログラミングを通じて、たくさんの人が混じり合う場です。参加者にとって、家庭や職場とはまったく違う居場所になっていることを感じます。
ノンプロ研では、みんな仲間をSlackの登録名で呼び合いますね。極端な話、サードプレイスでは相手の本名すら知らなくていいんです。あだ名があれば事足りるし、仲良くなったらSNSでつながればいい。趣味のコミュニティも同じで、興味関心の対象が同じという1点で集まっているからこそ居心地がいいんですよね。たまに初対面で名刺交換をしちゃう人がいます(笑)。名刺に書かれた社名や肩書きから、無意識に相手の立ち位置を判定してしまうんですね。そういう人も、サードプレイスに浸かるとどんどん解毒されていきます(笑)。
逆に、義務的な組織はサードプレイスとしての価値が低いかというと、そうではありません。同じコミュニティでも、義務的に参加している人と自発的にその場にいる人が共存している可能性もあります。例えば、PTAはその一つだと思います。
例えば関西の方から聞いたお話では、お子さんの母校のPTAにお子さんの卒業後もずっと関わっています。毎年、夏休みに校庭でキャンプをするというイベントが開かれ、その特別感、非日常感に、親子が一緒に盛り上がるのがすごく楽しいそうです。PTAだからといってすべてが強制的な集いではない。自分が自発的に関わろうと思えれば、そこは目的を持った自発的な居場所になりうるんです。
――逆に、サードプレイスにおいて課題になるのはどんなことでしょうか?
常連が幅を利かせすぎて、新しい人が入りづらくなったり、マンネリ化してしまったり……好きに出入りできなくなると、居場所としての魅力が下がりますね。またマウントを取り合う人たちがいると、上下関係が生まれて、心理的安全性が下がってしまいます。それから運営メンバーが、力を入れすぎて途中で燃え尽きてしまうケースもあります。こうした課題とどうバランスをとるかが、重要なポイントになるでしょう。
他地域にゆるく関わる「関係人口」は、サードプレイスと好相性
――サードプレイスを持つことで、特定の地域に関心を持つ「関係人口」としてゆるくつながることもできるかもしれませんね。
以前は、人と地域の関わり方は、「定住人口」と観光で訪れる「交流人口」の2択でした。でも、「移住か、観光か」の極端な2択では、自治体同士で限られた移住者を取り合ってしまう。人口減少が続く中で少ないパイを奪い合うよりも、もっと広くゆるく関わりあう「関係人口」を増やすほうが生産的ではないか? 複数の地域が共に伸びていけるのではないか? という発想から、関係人口の概念が生まれました。
一口に関係人口といっても、いろいろな関わり方があります。ふるさと納税をしたり、特産品を買ったり、二拠点生活の片方にしたり、イベントの運営を手伝ったり。いずれにしても、移住とは違って“ゆるい”関与ですから、地域の外から多様な人を招き入れられるのがメリットです。
ここで大事なのが、「よそ者が、よそ者として関わること」。よそ者だからこそ、地域のよさを新発見したり、誇りになる部分を見つけて評価したり、しがらみのない立場から斬新なアイデアを出せたりします。多かれ少なかれ異質性を持っている人だからこそ、効果が見込めるんです。この点は、サードプレイスに通じる部分が大きいと思います。
もちろん「関係人口」にも課題があります。すでに一部の地域で関係人口に過度に期待する、あるいは過度に拒絶するという「関係人口疲れ」が起きているといわれ、ポジティブなことばかりではありません。ネガティブな部分も含めて現実的に捉え、その価値を考えていけたらと思います。