「プログラミングに人生を救われた」ノンプログラマー・江畑早苗さんがGASを学んで得たもの

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結婚・出産を機に、一度キャリアを諦めざるをえなかった江畑早苗(えばた)さん。プログラミングを学んだことで、人生もキャリアも大きく変わったといいます。えばたさんのキャリアと、そこにプログラミングがどう影響したのか、インタビューしました。

産後は「人生もキャリアも、分断されてしまった」絶望感に襲われる毎日

ーーえばたさんがプログラミングを学んだきっかけは、何だったのでしょうか?

当時パートタイマーとして務めていた建設会社で、コピペ業務を任されたことです。ルーティンで発生するのに、指示されたやり方ではすごく効率が悪くて。もっといい方法がないか探すうちに、どうやら「Google Apps Script」(GAS)というものがあるらしいと知りました。

GASについて軽く調べたところ「これなら私もできる!」と思ったし、業務に活かせれば会社の中で代わりが効かない存在になれるんじゃないかという予感がありました。プログラミングは前職でも経験していたので、基礎知識は持っていたんです。

ーー業務効率のためのツールとして、GASに出会ったんですね。当時のえばたさんのキャリアは、どんな状況だったんですか?

実は、私のキャリアは、障害を持つ息子を産んだことで一度ストップしていて。今振り返っても、産後の10年間は本当に苦しかったです。自分のキャリアが分断されてしまって、働きたくても働けないし、20代の頃に学んだプログラミングを活かす場はなくなりました。息子の世話に時間を捧げる生き方しか、もう私にはできないのだろうか……と感じてしまって、とても苦しい時期でした。

息子が支援学校と放課後等デイサービスに通い始めてからは、建設会社でキャリアを再スタートすることができました。当時は、とにかく外に出て働けることのうれしさを感じていました。

一方で、せっかく仕事をできる環境になったのにキャリアップにつながるような業務内容ではないことと、時間的な制約が厳しいことに、諦めも感じていました。私自身の経験やスキルを生かしてキャリアアップしていく、そんなキャリアの手応えにはほど遠い現実もあって、ずっと苦しさを感じていました。

えばたさん
キャリアを離れて子育てに専念していた当時のえばたさん。笑顔の裏には、喪失感や孤独感、絶望感があったといいます。

ーー障害を持つお子さんを育てながら働くことには、今以上に壁があったんですね。

しかも、いずれ時間の制約はさらに厳しくなるとわかっていました。息子は、支援学校を卒業したら生活介護を受けることになりますが、それは毎日15時頃に終わります。学校よりも早く迎えに行く必要がある分、私が仕事に充てられる時間は短くなるんです。

それでも仕事を続けたい。そう思ったら、「短時間勤務」という厳しいハンディを補えるだけのスキルが必要でした。何か武器がほしいと思っていたときに、たまたま見つけたのがGASだったんです。GASに出会えた日の夜、寝る前に「これで私の道が開けるかもしれない!」とすごくワクワクした気持ちは忘れられません。

10年ぶりに触れたプログラミング。「私にはノンプログラマーが合っている」と実感

ーー自分らしいキャリアを築きたい思いと、それがかなわない環境の板挟みだったんですね。GASの勉強はどうやって始めましたか?

まずは本を買おうと思って、次の日に書店に行きました。そこでたまたま見つけたのがタカハシノリアキさんの本『Google Apps Script完全入門』(秀和システム)でした。今でこそGASの解説本はたくさん出ていますが、当時は大きな書店でも1、2冊しか置いてありませんでしたね。

書店で本を見つけたときは「あった……!」と感動しました。書棚の中でそこだけ光って見えたくらい(笑)。いざ学び始めると、新しいことだらけでしたね。まず、前職でプログラミングをやっていた10年前とは、やり方も環境も全然違うのだと知って驚きました。昔はエディタ1つでもかなり高価だったので、プログラミングをやる一般人なんてごく一部のマニアだけだったんです。コストをかけなくてもできるようになっているなんて知りませんでした。

まずは本でGASを学びつつ、徐々に業務に生かしていきました。とくに「ノンプログラマーのためのスキルアップ研究会」(ノンプロ研)に入ってからは、仲間と一緒に学ぶ楽しさを知って、経験の幅がぐっと広がりました。「このタカハシさん=私を変えた、あの本の著者のタカハシさん」と頭の中でつながるまで、少し時間がかかったのを覚えています(笑)。

えばたさん
療育園でのひとこま。「この頃は毎日のように療育園とリハビリに通っていました」(えばたさん)

ーータカハシさんの本で学んだGASは、実務にうまく活用できましたか?

はい。狙い通りにどんどん業務効率化できて、すごく手応えがありました! 担当する業務内容も、前よりもっと楽しくてやりがいのある内容に変わり、人生が上向いていく実感がありました。ようやく、出産前の人生と今の人生がつながって見えてきた感覚です。

GASでツールをつくり、ルーティン作業を1つずつ自動化していくたびに、周りのみんなが「魔法みたい!」「すごいね!」と言ってくれたのがいちばんうれしかったですね。ユーザーの反応を毎日間近で見られるのは、ノンプログラマーならではのメリットです。目の前でみんなに喜んでもらえるのが醍醐味だし、やっぱりモチベーションが上がります。現職でもそうなんですが、ノンプログラマーとして動くのが私には向いているんだなと実感しました。

今振り返ると、とにかく自分で勉強して実務に反映して、業務効率化の実績をつくっていったという感じでした。会社にあれこれ話を通すよりも先に、行動で示していたなと思います。

GASをきっかけに、働き方も変わりました。息子のケアをしながら働けるよう、リモートワークを許可してもらえたんです。当時はコロナ前で、勤務先の建設会社にはリモートワークの制度はありませんでした。でも説得しなければ始まらないと思い、「リモートワークをすれば会社にこれだけ貢献できる、だからやらせてほしい」と会社に要望しました。当時、私が仕事を続けるためにはリモートワークをするしかないという切実な思いがあったので、必死でしたね。

本当の価値は、GASのスキルではなく「いかに周りと助け合えるか」にある

ーー今のえばたさんは、GASに関して相当高いスキルを持っています。それでもまだ学ぶ意欲を持ち続けられるのはなぜですか?

私は、プログラミングのスキル自体にはそれほど価値はないと思っていて。一度習得してしまえば、自分が持っている道具の1つにすぎません。時代的にプログラミングの潮流がノーコードに移り変わっていることもあって、「GASをできるようになった」だけでは価値は生まれないと思います。何かを学んでとことん極める楽しさはもちろんありますが、真の価値はそこにはないと思うんです。

仕事でも家庭のことでも、自分1人でできることってたかが知れています。いかに周りと協力しあって助け合いながら大きいゴールに向かっていけるかが肝だと思うんです。だから私は、スキルそのものよりも、プログラミングを学んだり使ったりすることで見えてくるものの方が大事だと思います。

私でいえば、出産前後で分断していた私の人生をつないでくれる“橋渡し”の役割をしてくれたのがプログラミングでした。でも、橋そのものに価値があるとは思いません。プログラミングはたしかに道をつくってくれたけど、通ったらおしまい。ずっと大事に抱えていたいものではないんですよね。

だからこそ、私はノンプロ研にいるのかもしれません。社外の誰かと一緒に何かする楽しさ、一人ではできない経験をできる面白さは、コミュニティだからこそ味わえるもの。たくさんの素晴らしい経験をさせてもらっています。

ーーえばたさんがノンプロ研に参加されたのは、3年前のことでしたね。

コミュ二ティに入るいちばんの価値は、「良い関係性が伝染する」ことだと思います。社外の仲間とは利害関係がないから、誰のことも屈託なく応援できるし、いい意味で互いを放っておけます。いわゆる心理的安全性が担保されていて、みんなの頑張りをお互い受け入れて、褒め合って。そんな関係性を心地良く感じているうちに、会社でもそういう人間関係を築けるようになりました。

周りから受け入れられ、心から応援してもらう経験を重ねるうちに、自分も自然とそうふるまうようになっていて、別の場所でも似た関係性ができあがっていくんですよね。その意味では、自信や能天気さも備わったと思います。ノンプロ研にもう3年もいますから、長い時間をかけて私に染み付いてきたものだと感じています。

ノンプロ研で得たものとしていちばん実感しているのは、「度胸」です。人前で何か発表したり、初対面の人と一緒に何かを始めたり、できるかわからないけどとりあえず口に出してみたり。そういう度胸が備わりました。ノンプロ研は心理的安全性が高いので、「ここなら失敗しても大丈夫」と思わせてくれます。おかげで、挑戦を楽しめるようになったし、気づけば会社でも同じように振る舞えるようになりました。

転職して約1年、これからは経営レベルにインパクトを与えたい

ーーえばたさんは最近、ユニバーサルデザインを推進している企業に転職されたと伺いました。

はい。転職活動をして、23年11月に入社しました。今は経営管理部で業務改善を担当しています。中には作業の自動化に抵抗がある方もいて、私が入社して間もない新人だったこともあり、初めはすんなり受け入れてもらえませんでした。でも、自動化によって無駄な仕事が消えていくさまをみんなに見せれば、状況はすぐ変わると信じていました。

業務効率化は結果がすべてなので、それを見せればすぐに理解を得られます。業務効率化って実は誰にでもできることだけど、みんな「自分にはできない」と思いがちなんです。やればできることだとわかってもらうのが大事です。だんだんみんなの仕事が変わっていったり、「これも自動化できるかもしれません」と提案をもらったりするのも楽しくて、刺激的ですね。

ーー現在の職場では、どのようにGASを活用していますか?

私自身ミスが多いので、ルーティン業務は片っ端からGASで自動化しています。でもそれだけでは、ごく一部の業務を局所的に変えることしかできません。つまり、経営レベルに価値をもたらすまでのインパクトはないと思うんです。

そう思って今は、Google AppSheet(ノーコード開発ツール)を社内に普及させようと頑張っています。データを取って再利用できる環境を整えて、多くの方に「データがあれば芋づる式にいい変化が起きる」という体験をしてもらいたいです。大事なのはAppSheetそのものではなく、データを集められる環境。だから、なぜ、何の狙いで、どうやってAppSheetを使うのか、ていねいに伝えます。こういう工夫を続けることで、今の私には想像もできないようなすごい世界が待っていると信じています。

私が今までのキャリアで思ったことは、「ただスキルを身につけるだけじゃ、いい使用人になるだけ」ということ。会社が目指すゴールに向かって、どれだけの価値を生み出せるかのほうが大事です。業務改善の担当として、現場の仕事を効率化し無駄をなくすのは当然のこと。これからは、経営レベルに影響を与えられるようになりたいです。

働くって尊い。60歳でも70歳でも、できることがある私でいたい

ーーお話を伺って改めて、えばたさんは一貫して強いキャリア思考を持っている方だと思いました。それはなぜでしょうか?

私の中に、「働くこと=尊いこと」という意識が人一倍強くあるんですよね。産後、働きたいのに働けない時期があったからこそだと思います。働くって自分を何よりも成長させるし、それってすごく幸せなこと。昨日の私と今日の私は違うのだと感じられれば、それは生きる喜びになるし、それをいちばん実現してくれるのが仕事です。

1人じゃできないことも、組織で働いてみんなで力を出し合えばできるようになります。道路もビルも、絶対に1人じゃつくれませんよね。だから、私はなるべく長く、人が集まっているところに身を置き続けたいんです。60歳でも70歳でもできることがある私でいたいから、最新の技術にもキャッチアップしていきます。

人間の本能として、「誰か、何かの役に立ちたい」という気持ちがあるはずです。私も自分自身の力を生かして、誰かの役に立ち続けたいなと思います。その方法は何でもいいのですが、私が最大限みんなの役に立てるのはプログラミング。これからもそうやって、私らしくキャリアを築いていきたいです。

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この記事を書いた人

さくらもえ

出版社の広告ディレクターとして働く、ノンプログラマー。趣味はJリーグ観戦。仙台の街と人が大好き。