2022年12月に発足から丸5年を迎えた「ノンプログラマーのためのスキルアップ研究会」(通称、ノンプロ研)。主宰しているタカハシノリアキさんは、なぜ、どうやってノンプロ研を生み出したのでしょうか。サックスプレイヤーを経てブラック職場を渡り歩いた過去から、コミュニティ運営の考え方まで。知る人ぞ知る、タカハシさんの素顔に迫りました!
メンタルもギリギリ…超ブラック職場を渡り歩いた過去
ーータカハシさんは、どんな学生だったんですか?
昔は、サックスプレイヤーになるのが夢でした。大学院を卒業するときに父と「30歳までにモノにならなかったら辞める」と約束した上で、サックスプレイヤーとして活動していました。高専の頃に吹奏楽部でサックスを吹いて、楽しさを知ったんです。部活のほかにも、バンドを組んだりジャズを演奏したり、好きな音楽を思いっきり追いかけました。
そして父との約束を守り、30歳のときに就職しました。6年間やってみても、サックスで生活できる人はごく一握り。周りを見渡しても、サックスどころか楽器で生計を立てている人はほとんどいません。そもそもポジションが極端に少ない世界で生きていくのは無理があると、自分の甘さに気づかされました。
ーー就職したのは、どんな会社だったんですか?
当時急成長中のベンチャー企業です。30人くらいで始まった会社でしたが、5~6年で150人くらいに成長。組織が大きくなるにつれて僕のポジションも上がり、どんどん大きい仕事を手掛けるようになりました。
あるタイミングで、経営体制が変わり人員削減が行われたことをきっかけに転職。このときうっかり入社してしまった(笑)IT企業が、かなりのブラック企業だったんです。僕がいた部門は、ひたすらこき使われるとても過酷な職場でした。
大量の仕事がすべて終わらないと帰れず、ずっと先輩や上司に怒られ続ける毎日。そういう環境だからメンバーもみんな攻撃的で、自分より弱い人を見つけて攻撃するという負の連鎖が出来上がっていましたね。自己肯定感がだだ下がり、「働くっていったい何なんだろう……?」と考えるようになっていきました。
ーーメンタルがギリギリの状態だったんですね。
長くここにいたら本当に死んでしまうと思って転職をしましたが、なんと新しい職場もまたちょっぴりブラックだったんです(笑)。その頃の僕はすでにブラック職場耐性が付いていたので、それほど怖くはありませんでしたが(笑)、待遇も下がりましたし、「僕は60代になるまでずっとここにいるのか…」と暗澹たる気持ちになりましたね。
そんなときに思いついたのが、プログラミングでした。ITを活用して事務作業を効率化すれば、仕事を短時間で終えられる。またITスキルを磨いてスキルアップすれば、働きやすい会社に転職できて、ブラックな職場でいやいや働く人生から脱却できるのではないかと思ったんです。この先どうやって生きていくか考えたら、生存戦略としてやるしかなかった、というのが正直なところです。当時すでに40歳間近だったので、何か武器を身につけなければ再転職は難しいだろうとも思いました。
生存戦略として見つけたのが、プログラミングだった
ーープログラミングはどうやって勉強したんですか?
相当苦労しながら独学で1から学びました。結果、僕自身の仕事はかなり効率化できました。これはプログラマーに限らず、すべての人に役立つスキルだ! と思いましたね。職場環境も自分の上司も、いつどう変わるかわからない時代。汎用性が高いプログラミングのスキルは最強だと気づきました。
ーーでも、専門外のプログラミングを1人で勉強するのはハードルが高そうです。
はい、挫折しやすいです。エラーが出たときに対処法がわからなかったり、どうしてもとんちんかんなコードを書いてしまったり……僕自身、何度もつまづきました。こうしたことから、ブログ「いつも隣にITのお仕事」(「隣IT」)を書き始めました。初心者がつまづきやすいポイントをカバーできるブログを目指して、とにかくていねいに書きました。アウトプットすることで、僕自身の復習にもなり一石二鳥でしたね。
ーープログラミング自体も、「隣IT」のご執筆も、ご自身の体験が基になっているんですね。
「こういうものがあったらいいのに」と思ったものがこの世になければ、自分で作る。このスタンスは、コミュニティ運営や書籍の執筆をはじめ、僕の活動すべてに通じる考え方です。
プログラミング初心者がまず見るのは、専門書かWebサイトですよね。プログラミングの書籍はたくさんありますが、実務的なまとめ方とは異なるものが多いんです。Webサイトも同じく大量にありますが、「これをコピーすれば、請求書ができる!」というようなタイトルで、コードがペタッと貼り付けられていることが多い。コードをコピペするだけでは本質を理解できないので、自分の業務に合った形にカスタマイズできないし、何かエラーが起きたときに対応できません。
「隣IT」では、「コードの中の、この行が何を意味するか」を理解してもらえるように書きたいと思いました。「この行が意味することと、具体的な書き方の説明」で1記事ずつ書いているので、結果的に、1つのコードの説明に20記事くらいかけています(笑)。
メンバーが教え合い学び合う、コミュニティを作ろうと考えた
ーープログラミングのスキルを身につけ、いざ独立したタカハシさん。どんな事業をしていたんでしょうか?
受託開発業務と、企業向け研修、個人向け講座という3つが基本事業でした。が、やっているうちに、個人向け講座の事業に行き詰まりを感じ始めたんです。
プログラミングの勉強は、初心者なら1日1~2時間は割かなければならず、また挫折防止のために他者の関与が必要です。1人ひとりに僕がつきっきりでフォローすると、マンパワーがかかりすぎて、ビジネスとして成立しないんです。入口を教えることはできても、実務で使えるレベルになるまで伴走するのは非現実的だと気づきました。
そこで、コミュニティという形式を思いつきました。だから、一緒に勉強できる仲間や教えてくれる先輩を求めている人は多いのではないか、同じ思いを持つ人たちが集まるコミュニティがあれば、こうした壁を乗り越えられるんじゃないかなと。
ノンプロ研ではよく「教えることは二度学ぶこと」といいますが、人に教えることは必ず、自分の利益にもなります。例え直接的な報酬がなくても、何かしら新しい気づきを得たり、自分のスキルを磨けたりするといった報酬を得られます。このメリットを最大化するには、メンバーが教え合い学び合うコミュニティの形がいちばんだろうと考えました。
こうしてノンプロ研が誕生したのが、2017年12月のことでした。
ノンプロ研の初期メンバーにはすごく助けられている
ーー滑り出しはいかがでしたか?
2017年12月の会員数は12人。「隣IT」の読者が集まってくれて、上々の滑り出しになりました。当時、「隣IT」のPVが月に百数十万ほどあったのは強みになりましたね。最初は今と違って講座はなく、月1で定例会ともくもく会をしているだけのコミュニティでした。定例会では、僕がみなさんにノウハウを伝授していました。
今では考えられませんが(笑)、登壇者が僕だけだったので、かなり僕のアウトプットに偏っていて。回を重ねるうちに、もっとみんなにアウトプットの機会を提供するべきだと気づきました。学びをアウトプットすることは知識の定着に大きな効果がありますから、そのチャンスを僕が独占していてはいけないなと。僕は最低限のルールや枠組みを作る役割にシフトして、あとはメンバーのみんなに任せることにしました。
ーー初期メンバーのみなさんは、アウトプットへの抵抗はありませんでしたか?
まったくありませんでした(笑)。みんな「やりたい〜!」という感じ。そもそも僕がこの考えを持つよりも前から、初期メンバーのみんながノンプロ研の活動に関するアイデアや提案をたくさん寄せてくれていたんです。例えば「連絡ツールを、FacebookグループからSlackに変えませんか」とか「新しいイベントをしませんか」など。初期メンバーにはすごく助けられているなあと、つくづく思います。
ーーフラットな関係性はそのころから変わらないんですね。
ノンプロ研の創設時から、上下関係のない組織にすると決めていました。全員が安心して会話したり、学び合ったりするスタイルの前提になるからです。スキルのレベルは人それぞれ違っても、フラットに関わり合うのは当然のこと。初期メンバーがよく理解して協力してくれたので、僕がとくに口に出さずとも、安心して会話できる雰囲気が出来上がりました。
ーーノンプロ研の文化が、創設から5年経った今も変わらず続いている理由はどこにあるのでしょうか。
1つは「1から作ったコミュニティであること」。例えば職場のように、上下関係や利害関係が明確にある環境で心理的安全性を生み出すのは、相当難しいと思います(笑)。
もう1つの理由は「有料制であること」。そもそもお金を払って勉強しようとする人たちだから、くだらないマウントを取ったり、承認欲求を満たそうという発想がありません。分野やレベルに関わらず「学習するのはすばらしいこと」という考えがあり、成長しようとしている人を無条件でリスペクトするのがノンプロ研です。
「みんなを不安にしたくないから」運営は徹底して透明に
ーーノンプロ研の活動は、メンバーの皆さんの自主性に任されている部分が多くありますね。
とりあえずやってみて、うまくいかなければ都度改善するというのが僕のやり方です。完璧な状態に辿り着くことは永遠になく、今度はこうしてみよう、次はああしてみようと、運営メンバーと一緒に試行錯誤しています。
それから、みんなのやりたいことをどんどんやってもらうスタンスです。イベントはもちろん、部活動も、Slackのスタンプ作りも(笑)。僕が何か指示するということはありませんね。
ーー透明性の高い、クリアな運営を貫いているのは意図的ですか?
はい。狙ってやっていますし、やらない理由がない。組織の意思決定がどこでどう行われているのか見えないと、みんなが不安になっちゃいますよね。その状態でみんな一緒に楽しく活動するのは難しいでしょう。実際、コミュニティの中でトラブルが起きるときは、情報開示の不足が原因の1つであるケースが多いなと思います。
ノンプロ研では、プライベートなことやセンシティブな内容でない限り、すべての連絡事項はSlack上のオープンなチャンネルでやりとりすることにしています。質問ならほかのメンバーにとっても学びになるし、単なる情報共有だって再度の周知になる。運営メンバーのミーティングも、議事録含め全員に公開しています。
コミュニティの価値は「他人の人生を見られること」
ーーノンプロ研を創設してから丸5年。高橋さんが思うコミュニティの価値って?
組織全体としては「集合知で、大きなテーマに立ち向かえること」ですね。この7年ほど、プログラミングをめぐる状況は激変しています。情報量もツールの数も増えており、これらの情報を僕1人ですべてカバーし続けるのは現実的ではありません。ここにコミュニティの力が生きていて、メンバー各自が持つ知識やノウハウを集めた「集合知」で解決策を探ることができるんです。
個人の視点では、「他人の人生を見られること」がいちばんの価値だと思います。もともとプログラミングの知識0だった人が、ノンプロ研で学ぶうちに難しいコードを書けるようになるのはもちろん、ときには挫折を味わうことも。乗り越えられた達成感や、乗り越えられなかった悔しさをみんなで共有しながら見守ることで、周りも刺激をもらえる。これがコミュニティに参加する醍醐味だと思います。
ーーうれしさも悔しさもリアルタイムでシェアできるのが、コミュニティのよさですね。
はい! プログラミングの勉強もモチベーションの維持も、仲間と一緒に乗り越えるのがノンプロ研流。そもそもノンプログラマーがプログラミングを勉強しているわけですから、つまずくこともあって当然ですよね。ノンプロ研のメンバーはみんな、いつでも仲間を手助けする気満々です(笑)。人をサポートすることが自分の学びにもなるし、気持ちいいというスタンス。
ノンプロ研には、プログラミングのスキルはじゅうぶん身に付けたにもかかわらず長年参加しているメンバーが何人もいます。これは純粋に、みんなで助け合ったり、新しいことに取り組んだり、アイデアを出し合ったりする活動が楽しいからだと思います。
ただ、教わる側は「手間をかけて申し訳ない」とか「わからないことばかりで恥ずかしい……」という気持ちがあって、どうしても助けを求めづらい。これはコミュニティの永遠の課題で、僕としても頑張りどころだと感じます。
ーー今後、ノンプロ研はどうやって拡大していきますか?
まずは越境学習支援プロジェクト(企業からノンプロ研へ越境して活動することを通してDX人材を育成する取り組み)の成功事例を増やし、広めていきたいと思います。事例があれば、越境学習の価値を伝えやすくなりますし、具体的な方法をイメージしてもらえるでしょう。広報に力を入れて、ノンプロ研の取り組みを世の中にアピールしていきたいですね。
日本企業の壁として、ITスキルの高い人材を評価する仕組みが整っていないと思います。非IT部門でプログラミングを活用すると、かえって周りから「余計なことをしないで」と迷惑がられるケースさえあるようで。こういう状況が「あるある」な限り、日本に未来はありません。DXは、個人のスキルアップだけでは解決しない課題です。僕としても、組織を相手にアプローチしていくことが必要だと感じています。