福岡県北九州市で、透析医療を中心に幅広い医療を提供している小倉第一病院。「医療DXを進めていきたいと考えていたときに、たまたま誘われたのが越境学習プロジェクトでした」と語るのは、院長の中村秀敏さんです。伴走者として関わった山口征啓さんと共に、その軌跡を振り返っていただきました。
中村秀敏さん:小倉第一病院 理事長・院長。北九州市小倉医師会 理事を務めるなど院外でも活躍。
山口征啓(ゆきひろ)さん:コネクト合同会社CEO。感染症・感染対策コンサルティングを手掛ける。日本感染症学会指導医。
医療DXを考えていたときに誘われた、越境学習プロジェクト
――なぜ、越境学習プロジェクトに取り組もうと考えられたのでしょうか?
中村 当院が山口先生のコンサルティングを受ける中で、「越境学習プロジェクトというものがあります」と紹介してもらったのが始まりです。最初は、そもそも越境学習とは何なのか、何を目的にどんな方法で行うのか、まったくわかりませんでしたし、当院の職員でプログラミングに興味を持っている人がいるのか? と半信半疑でしたね。
ただ、この頃病院の経営者が集まると必ず話題に上がるのが「医療DX」です。私も取り組みたいと考えていたので、越境学習プロジェクトに参加する価値は十分ありそうだと思いました。当院は2年前に紙カルテから電子カルテに替えていますし、去年にはシステムエンジニアを迎えたこともあり、本格的にデジタル化を開始するいいタイミングだったんです。山口先生の熱量にも押され(笑)、徐々に話を進めていきました。そしていざ参加者を募ったところ、複数名が挙手してくれたという経緯です。
山口 小倉第一病院さんは以前から新しいことを積極的に取り入れていて、経営的にも非常に健全です。外部の私が見ても越境学習との相性がよく、大きな成果を生み出せるのではないかと考えました。例えば、紙によるデータの管理や記録がまだ多く残っていますので、そこをプログラミングで改善できれば労働環境の改善につながります。私が2022年末から半年ほどかけてプッシュし続け、2023年5月にようやくプロジェクト開始へ辿り着きました。
中村 医療DXに対する危機感は以前から感じていて、これまでも具体的に検討したことがありました。でも、当院で成功するイメージがわかず、成立に至らなかったんです。越境学習プロジェクトも、山口先生の説明やお誘いがなければ踏み込めていなかったかもしれません。
外部のコミュニティへ「越境する」ことに、抵抗はなかった
――参加された越境学習プロジェクトは、「ノンプログラマーのためのスキルアップ研究会」(ノンプロ研)が主催するものです。外部のコミュニティで学ぶことに対して、抵抗はありませんでしたか?
中村 抵抗や戸惑いはありませんでした。というのも、当院では職員が各自の専門領域に関して、学会や外部の講演会に参加して学んだことを取り入れる文化があるんです。外で得た知見や学びを吸収して、院内で発展させていくというマインドが根付いているのは大きいですね。プログラミング学習は当院にとって初めての経験でしたが、学習する素地は元から整っていました。
山口 医療業界はすごく進歩が激しい業界ですから、継続的に勉強する姿勢は不可欠です。ただ、「本業の知識を深め、ノウハウを伸ばす」という意味合いが一般的で、「リスキリング、学び直し」という方向に行くのは珍しいように思います。小倉第一病院さんもそうですが、大規模な病院は、内部にシステムエンジニアがいることも多いですね。ただ、デジタル人材は深刻な人手不足ですから、職員のITスキルを上げて、DXを担えるよう育成することも大事です。
中村 「ノンプロ研」のネーミングから、コミュニティとしての趣旨は初見でなんとなく理解できましたが(笑)、雰囲気まではわからず。いざ越境学習プロジェクトがスタートしてから、だんだん掴めるようになっていきました。学ぶ場所としての質の高さを感じたのは、参加者2名の成果発表会のとき。仲間との関わり合いやサポートの中で、効果的にスキルを身に付けられたのだと思います。
――越境学習プロジェクトには、どう関わられましたか?
中村 伴走者を務めました。もし院内で、学習者と周囲の間に摩擦が生じた場合は調整しようと思っていましたが、幸いにも摩擦は生じずに終了しました。
山口 医療業界独自の事情や知識が必要になったときは、私もフォローしました。ただ、「越境」の要素が薄まらないように、という狙いで、学習の本質的な部分はすべてノンプロ研のメンバーにお任せしていました。
中村 ノンプロ研は「挫折しにくい」仕組みになっているのが特徴なんだと感じました。コミュニティとの相性は人それぞれですが、学び続けられるシステムが用意されているのは、ノンプロ研独自のメリットだと思います。
データをベースに、意思決定できるようになった
――ここまで参加されて、手応えはいかがでしょうか。
山口 参加者の2名が、売上額を算出するツールや、ワクチン接種率をリアルタイムで出すツールを完成させました。これまで手でやっていた作業が自動化されるという変化はとても大きいと思います。プログラミングのメリットは、特定の部署や職種に限るものではありませんから、今後もたくさんの方の仕事を効率化していけるのではないでしょうか。
中村 経営者にとっていちばん大きな変化は、「データからタイムラグを少なく意思決定できるようになった」ことです。例えば、月ごとの患者数のデータが、これまで2〜3カ月遅れで仕上がっていました。これは一般的な経営者の感覚で言うと相当遅いですよね。リアルタイムで更新されるデータを見ながら、仕事の進め方や管理方法についての議論と意思決定をできるようになったのは画期的なことです。判断のスピードが上がったのはもちろん、正確さも増したように思います。
山口 効果が目に見えて出てきましたね。紙がデータに置き換わって、業務時間を短縮できるのがまず最初。次に、組織の戦略が変わっていく。ここがDXの本丸です。医療DXはまだ発展途上ですが、その第一歩を踏み出せたように思います。
中村 2年前に電子カルテを導入したときも、情報共有のやり方や職員の仕事の仕方が革命的に変わり、残業も減りました。今後は、例えばAIを使った画像診断も使えるかもしれません。どんどん精度が上がっていきますから、正しく使いこなせるスキルを身に付けていきたいです。
――越境学習プロジェクト全体を振り返って、今どう感じられていますか?
中村 予想していたよりもずっとハイレベルな成果物ができあがりました。とてもいい滑り出しだったと思いますので、これからも越境学習プロジェクトを続けて、当院の医療DXについてもっと具体的な将来像を描いていきたいです。まずは参加者を増やして勢力を拡大することで、院内で1つの流れを作りたい。第2期の参加者を募るほか、院内に「医療DX推進チーム」的な組織を立ち上げたり、越境学習で得た体験を広くシェアしたりできたらと思っています。
山口 越境学習者の業務範囲を超え、さらに広い変化が生まれてくると、周りとの摩擦も生じやすくなります。そこを、組織がどう乗り越えるか。この点は第2期以降での課題になりそうですね。今、医療DXは今、多くの病院が手探りで進めている状況なので、似た取り組みをする病院と、悩みやTipsを共有するのも一手ではないかと思います。まずは現場にある業務課題の解決に向けて、第2期を発進し、勢いに乗っていけたら。今後のアウトプットも楽しみです。
中村 医療DXは短期で完成するものではなく、年単位で進めていく組織変革です。勢いを維持して目標に向かうためにも、組織で同じ方向を向いてゴールを目指さないといけません。山口先生のコンサルティングの力も借りて、しっかり進めていきたいです。